●きっかけはぼんやり見ていたテレビが報じた「長野電鉄木島線廃止の動き」でした。
瞬間、これは他人事ではないと直感。リストラの予感がにわかに現実味を帯び、木島線と自分が重なって「当たり前と思っている日常は期限付きなんだぞ。おまえも早急に身の振り方を考えろよ」といわれたような衝撃。自分も近いうちに否応なしに人生の転機を迎えることになるに違いない。だとすればこれは絶好の足掛かりになる。木島線最後の一年をを映像で記録しよう。
ただし、相手は廃止される鉄道。ラストラン間際の沿線がいかなる状況になるかは考えるまでもないこと。鉄道マニア/写真オタクが大挙詰めかけるだろうしテレビもセンセーショナルに取り上げるだろう。だが彼らは時間と空間の制約の中で出来事のアウトラインしか捉えないのが毎度のパターン。対して自分にはたっぷり時間がある。何より地の利がある。加えて自分がやらなければ他に誰がやるという義務感みたいなものが。どんな作品になるかはわからないが今自分に出来ることはこれしかない!
その後木島線は平成14年4月1日廃止と決定。廃止一年前、満開の桜の赤岩駅。行先不明の電車は目的地が見えないまま見切り発車しました。

●収録を進めながら自問自答。自分はいったい何を撮ろうとしているんだろう。電車を撮ろうとしているのか?人間ドラマを撮ろうとしているのか?それとも沿線の風景を撮ろうとしているのか?違うだろ。このままではまとまらない。映像の羅列に過ぎなくなってしまう。いっそ、売れないタレントを使って狂言仕立てにしたらとも。でもそれじゃTVと同じだ。
そんな中、様々な人々との出逢いが。線路端の小川でザリガニの餌にするんだとドジョウを獲っていた小さな女の子、電車の写真がどうしてもうまく撮れないとこぼしていた運転士さん、電車で病院に通っているがバスになったら具合が悪いと言っていたお婆さん、息子がリストラされたおじさん、農業は崩壊したと嘆いていたお爺さん、同級会に行くといってうれしそうに電車を待っていたお母さん、etc。皆さん見知らぬ男に気軽に話しかけてくれました。
そうだ、このままでいい。テーマは「電車のある情景」にしよう。そのとき自分が居合わせ、見た情景を壊さずにそのまま自分の感性で坦々と切り取ろう。映像の羅列でいいじゃないか。

●作品としてまとめる(まとめる必要は無いのかも)ため、ラストシーン以外は下り電車に的を絞って収録。これは下り電車がふるさとへの回帰を象徴しているからです。満州から引き揚げた人、戦地から帰った人、夢破れ、あるいは成功してふるさとに帰る電車の中から見えた北信五岳。思いはいかばかりだったかと想像し胸が熱くなります。

●完成した自分の作品と対面したとき、そこに見えたのは木島線ではなく「映像で記録された平成13年から14年にかけてのある田舎の平凡な日常」でした。これだ!これでいい。これならいつまでも腐らない。
いつの間にか木島線は作品としてまとめるための入れ物に過ぎなくなっていました。極端な話、木島線が存続していたとしてもこの作品は成立したのかも。これは決して方向転換したわけではなく、自分が昔から漠然と構想を練っていた「田舎の日常を坦々と綴った何事も起きない映画」が無意識のうちに木島線と自分自身にこじつけて具体化したものだと気付いて納得。
ラストランを明日に控えた四ヶ郷駅、中学生による「ありがとう木島線」セレモニー。あのとき詰めかけたメディア/鉄道マニアの群れの中に埋没しそうになりながら必死にカメラを回したとき味わった違和感はこれで解消。
ニュースを聞いてから4年、私の電車は終着駅に到着しました。

●この作品はDVD-videoです。ご希望によってはVHS版もお出しできますが手動でマスターからダビングしますので納期が長くなります。
DVDプレイヤーをお持ちでない方もいらっしゃると思いますが、否応なしに時代はDVDに移行しています。最近では再生専用の"DVDプレイヤー"が非常に安く出回っています。5,000円程度のもので全く問題なく再生できますのでこの際切り替えられることをお薦めします。

●この作品には木島線沿線の人たちが多数登場します。カメラを回したのが公共の場所で、内容も皆様の不利になるものではないということで基本的にアポなしで撮らせていただきました。本来ならお一人づつご挨拶に伺うべきですが現実には不可能ですのでこの場を借りて皆様に厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

なかむら みのる