古いアルバムから今は見られない貴重な風景写真を選んで並べてみました 
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  長野市川井新田にかつて長野飛行場がありました。北西の端は市営川合新田団地1号棟、中央部が長野市立犀陵中学校、南西の端は川合新田保育園付近です。  ウィキペディア参照  
  撮影年月は不確かで昭和42年か43年だと思いますが、友人とバイクに二人乗りして飛行機を見に行ったときの写真が残っています。当時はまだ飛行場として現役で、白バイの訓練にも使われていました。  
  気まぐれに撮った写真が今では貴重な記録です。  
     
   
現在の飛行場付近/地理院地図 拡大/縮小した場合再読み込みで初期状態に戻ります                  昔の飛行場/Wikipedia  
  右の写真で滑走路脇の誘導路突き当たり、画面右端に格納庫が見えます。私が写真を撮ったのは格納庫前の駐機場です。  
     
    左の写真は昔の飛行場入り口 右は記念碑  
     
  滑走路脇、駐機場の軽飛行機  
  写真をよく見ると近所の人たちでしょうか、飛行機を見物していますが服装がいかにも昭和40年代。背後の山並みは若穂から松代方面です。  
  置いてある自転車と駐車している車も年代を感じます。格納庫脇の学生は学生帽を被った中学生かな。この飛行場は誰でも自由に立ち入りできました。  
  終戦2日前の長野空襲ではここも攻撃を受け犠牲者が出ましたが忘れられつつあります。  
     
   背景の山の形で判断して探り出した現在の同じ場所  
     
     
     
機体の整備中
 
同行した友人が整備していたおじさんに「エンジンは何ccですか」って訊ねたらぶっきらぼうに答えてくれました。
内容は忘れましたが。
背後は田んぼと右手にりんご畑、左奥雲の切れ間に飯綱山が見えます。右の写真はあの日と同じ場所です。
 中央道路脇に記念碑
     
     
     
後ろの田んぼは稲刈り直後
 
はざかけが見えるので十月、影を見ると時間帯は午後3時前後と思われます。
当時こんな飛行機が時折り空からビラを撒いていました。
下の写真は現在の様子ですがすっかり変わってしまいました。
 間違いなく同じ場所です
     
  こうして昔の写真を見ているとフッと十代のあの日に戻りそうになります。  
  乗ってきたバイクはどこに置いたっけ。  
     
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