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  ご案内 浅間 閑貞桜                
     
    今は無き浅間高原自動車テストコースについては様々なサイトで紹介されていますので詳しい事は調べていただくとして、ここに紹介しますのは当時20歳    
    の私が二輪雑誌「月刊モーターサイクリスト」のリポーターをしていた時、記事のネタ探しのためにバイクで訪れた時に撮影したもので、時は昭和44年4月、    
    1969年。記憶は定かではありませんが、当時すでにこのコースはあまり使われていなかったはずですが、管理人(?)さんとの会話の中で「映画の件で先    
    日裕ちゃんが来た云々」と言ってたような覚えがあります。裕ちゃんとは石原裕次郎、映画は自動車ラリー物の「栄光への5000キロ」のことです。私の相手    
    をしてくれた管理人さんのお名前は「泉」さんだったか「小泉」さんだったか、記憶は曖昧ですが只者ではない雰囲気の人でした。    
    それはいいとして、写真ですがもちろん当時のことですからモノクロです。今ならもっと体系的に、管理小屋と管理人さんも含めて撮るのですがまだほんの    
    坊やの頃ですからかなりいい加減で、又、どの位置で撮ったか記憶が定かではありませんので不明な写真は?をつけてあります。    
    レースの写真は数多く残っているようですが、普段のコースを撮った写真は珍しくて貴重です。    
    ここはこれ以前もその後も何度か行っていますが浅間山の裾野は今ではすっかり森になって昔の雰囲気はありません。    
         
    スキャナ:EPSON GT-9400UF 透過原稿ユニット使用 設定:透過原稿 白黒ネガフィルム 16bitグレー解像度2400dpi (出力サイズ 当倍) web用に解像度72dpi/サイズw380に加工    
   

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スタート地点 進行方向は手前 左奥は浅間山   小森カーブに向かう
   
   

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ファーストファイト?   この先が小森カーブ?
   
   

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セカンドファイトと思われます   サードファイトからスタート/ゴールを望む
   
   

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入り口   カスミのカーブ付近
   
   

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カスミのカーブ   ヘアピン入り口
   
   

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ヘアピン   ヘアピン出口
   
       
    ヘアピン全景 10,11,12を並べるとヘアピンの全貌がわかります    
   

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サードファイト先のコーナーか山下りか不明   ホームストレッチ 進行方向 柵の右は観覧席
   
    この当時、私は「チーム・サラブレッド」というクラブを作ってMCFAJに登録、自らもモトクロスの草レースに何回か出場しました。才能も無く基礎技術もなし    
    で何も結果は出せませんでしたが青春前期の楽しい思い出です。    
    4輪に転向した星野一義さんがカワサキコンバットでモトクロスで大活躍していた時代です。    
         
    浅間高原自動車テストコース図 出典:Wikipedia    
   
         
    昔は浅間といえば「オートレース場」のイメージがありました。もちろんギャンブルのオートレースではないのですが、古い地図には確かにオートレース場    
    と書いてあったのを見ています。正しくは「浅間高原自動車テストコース」です。    
    1957年10月に第二回浅間火山レース、翌年第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース大会、1959年には第3回浅間火山レ−ス(耐久レース)と第    
    2回全日本モーターサイクルクラブマンレースとオートバイのレースが開催されたことから勝手に「オートレース場」と表記したのでしょう。    
    鈴鹿サーキット完成以降は本来の目的である二輪メーカーのテストコースとして使われた後、日産がブルーバード510のラリー車のテストに使ったと聞い    
    ていますが私が訪れたのはそんな頃だったのでしょう。    
    フルチューンの510が直線で200キロ近く出さないと当時の最速ラップタイムは出なかったという話がありますが、まさにサムライの世界ですよね。    
         
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